編集者の気持ち

実は日経ソフトウエアの連載と別に執筆関係の仕事を持っている。@ITの「事例で学ぶビジネスモデリング-IT技術者のための戦略・業務分析入門」という記事だ。
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こちらの方は自分が執筆しているわけではなく、同僚の執筆をサポートしている。アイデア出しを一緒に行い、途中段階の原稿にコメントをして、最終的に文章の調子を整えるお手伝い、つまり編集者の仕事である。@ITさんの場合、基本的に著者の文章を最大限尊重する編集方針のため、シリーズ記事として統一性を持たせる役割を受け持っている。

雑誌でも書籍でもそうだが、自費出版のような場合を除いて、基本的に編集者がつく。編集者は文章のプロとして、記事を企画して、執筆を依頼し、上がってきた原稿を手直しする。どこまで手を加えるかは、出版社や媒体の種類およびポリシーによってさまざまである。雑誌の場合は編集者自身も記事を書くし、決まったスケジュールで動く都合上、関与度合いも比較的大きいようである。

ここ何年か、書き手の立場の仕事をしてきたため、自分の文章を編集者に手直しされる経験をしてきた。直された文章が戻ってくると「自分が言いたかったのは要するにこういうことなんだなー。」と感心することも多かった。中でも5年前の連載も担当していただいた日経ソフトウエアの真島編集長には、結論を先に提示する書き方や、主張をズバリと表現する見出しやタイトルの付け方を教えていただき、とても勉強になった。

一方で、編集者とはいえ、他人に文章を手直しされることに対しては抵抗も感じることもあった。だってクレジットされるのは自分の名前だし、著作権だって自分に帰属するのだから。責任は自分にあるのだから、勝手にやらせてくれたっていいじゃないか、という理屈である。

しかし編集者は出版社に所属するビジネスマンだから、売れる雑誌や書籍を作るというビジネス上の目的がある。したがって、著者の自己実現(自己満足)の支援だけするわけにも行かないことはもちろん理解しているつもりである。



そんな自分なので、真似事に近いとはいえ、今回編集者の立場に立ったのはとても面白い経験になった。

まず他人の文章をいじる気持ちを理解できた。基本的には、著者の個性や主張を生かすのが大前提だし、著者の気持ちもわかるから、手直しは必要最低限にするように心がけている。しかし、明らかに不適切な表現や誤植は直す。また著者の主張をより明確にするために表現を変えることもある。

ところが、これが曲者である。基本的には「著者の文章を尊重しよう」と思いながら査読するため、漢字や接続詞の使い方などの細かい趣味については手を加えない。しかしいったん誤植を修正すると、自分の中でタガが少し外れてしまい、周辺の数行を自分の趣味も含めていじってしまう。どこまで自分として我慢するか、どこまで出しゃばるかのバランスがとても難しい。

もう一つ理解できたのは、編集者としての喜びである。公開された文章の評判が良かったりすると素直に嬉しい。お膳立てとサポートはしても、主張や文章の内容はすべて著者のものである。にも関わらず自分のことのように嬉しい。これはプロデューサーや仕掛け人の面白さと同じではないかと思う。

最初は厄介な仕事を引き受けたと後悔したが、それなりに楽しめている。とはいえ、自分の連載原稿に苦しんでいる状況で、貴重な通勤電車の査読時間を人の文章の校正に使うのは楽ではない。

ということで、苦難の執筆生活だけでなく、苦難の編集生活もちょっぴりやってます、という報告でした。