執筆のアメとムチ

今日は編集者さんから問い合わせがあり、図の間違いについていくつか確認された。年末にバッチリ校正したつもりだったが、まだ細かいミスがいくつか残っていたことになる。スケジュールはギリギリだが、見つかった問題点は明日すべて反映して、今月の中旬ぐらいには印刷した本ができあがるそうなので、本当にこれで終わりである。

昨年の正月は親戚の年始参りに行く車の中で最初の4つのパターンの構成を考えていたので、本格的な書籍化に取りかかってから1年をかけてしまったことになる。そもそもこのブログを書き始めたのは3年前である。ちょっと聞くと「3年の歳月をかけた会心作」みたいに思えるかもしれないが、実際は無為に時間を使って、ダラダラやっていただけの話である。

改めてこの3年半をふりかえると次のようになる。

  • 2004年夏頃:仮題「UMLモデリングレッスン」として、問題集形式のモデリング解説本の企画を持ち込み、出版社さんからOKが出る。
  • 2004年秋〜2005年1月まで:メモを数行書いたのみで実質進捗ゼロ。ブログの執筆日誌をコッソリ始めるが、こちらも何も進まず。
  • 2005年2月:日経ソフトウエアの真島編集長(当時)と飲む機会があり、書籍の執筆が進んでいないことを話したところ、まず連載から始めることで合意する。
  • 2005年3月:はてなダイアリーの連載日誌スタート。
  • 2005年5月〜2006年3月:日経ソフトウエアへの連載執筆。計10回無事終了し、書籍の骨子ができる。
  • 2006年4月〜2006年9月:再び進捗ゼロ。理由はやる気が出ないため(笑)。
  • 2006年10月:編集者さんに会い、スランプであることを伝える。年内に1つの章をかけなかったら書籍化は断念し、連載記事をITProで公開することで合意する。
  • 2006年11〜12月:はてなダイアリーの連載日誌再開。調子は上がらないものの、第2章を書き終えたため、ITProへの公開は中止し、書籍化を目指すことにする。この時点では2007年夏の脱稿を目指す。
  • 2007年1-4月:依然として調子は上がらないが、とりあえず3-6章のドラフト版を書く。
  • 2007年5〜6月:スランプのため事実上お休み。理由はやっぱりやる気の問題(笑)。2007年夏の脱稿はあきらめる。
  • 2007年7月:スランプから多少持ち直し、7&8章を書く。
  • 2007年8-11月:8月頃から急にエンジンが掛かり始め、1章、9-15章を書く。
  • 2007年12月:本文を入稿し、腕試し問題とコラムを書く。

てな感じである。3年半といっても、集中していたのは、日経ソフトウエアに連載を書いていた1年間と、調子の上がった昨年の8月以降の半年間なので、正味1年半かな。平日は会社で仕事をしているので、休日の半分を使ったとすると、正味で40日ぐらいかけたという計算になるのかもしれない。実際には、パソコンやネタ帳に向かっている時間以外も漠然と考えているから、単純に何時間かけたとは言えないけど。

執筆が進まない最大の理由は、自分自身のやる気の問題である。仕事をするためにはアメかムチ、あるいはその両方が必要だが、それが弱いとどうしてもサボってしまう。
まずアメが弱い。書籍の原稿料は、『ハリーポッター』や『女性の品格』みたいな大ベストセラーを例外にすれば、労働時間の割に合わない仕事である。収入面だけを考えると、執筆にかける時間を別のアルバイトでもした確実である。したがって執筆の最大のアメは「自分の本を書く」という名誉である。しかし自分の場合は、以前1冊だけ本を書いたことがあるので、このアメも前回に比べるとちと弱い。
ムチも弱い。出版社さんはビジネスで本を作っているが、自分の担当の編集者さんは執筆途中であまりプレッシャーをかけてこない。もっとも編集者さんも相手のキャラクタを見て「簡単に投げ出しそうな相手にはプレッシャーをかけない」ことにしているのかもしれないけど(笑)。執筆は個人作業なので、編集者さん以外にマネジメントをしてくれる人もいない。今回は自分で自分の仕事を管理するために、執筆済みのページ数や文字数をカウントして、折れ線グラフを作ってみたりしたが、スランプになれば当然そんなものは無視である。

ま、それでも原稿料が労力の割に合わなくても、自分との闘いであっても、この仕事は面白いし、書き終わったときの達成感は大きい。そうでもなきゃ、あれだけの種類の本が毎年書店に並ぶはずがない。