ついに納本

ahirasawa2008-01-19


昨日、編集者さんから本が届いた。内容は何十回、何百回も読んだものだが、実際の本になると素直にうれしい。情報発信の媒体としてはネットが主流になりつつあるが、著者に自分の名前が書いてある紙の本はやっぱり格別である。この3年間はいろいろ大変だったが、やっぱりこの仕事をやって良かったと思う。

これはなんとも不思議な現象だが、内容を一から十まで全部知っているにも関わらず、納本された本はけっこう面白く読める。原稿を書いているときは書くことに一所懸命だし、ゲラの校正をするときは間違い探しが中心だが、この段階になると肩の力を抜いて素直に読めるからだと思う。そろそろ細かいことを忘れ始めてもいるので、ところどころに意外な展開があったりする。前回の本の時も納本直後に3回ぐらい読んだことを思い出す。

とはいえ、それも出版直後だけの話で、少し経つと目を通す気もしなくなってくる。自分の場合は、本だけでなくそのテーマ自体への関心も薄くなるので、今後は「モデリング」についてあまり興味がなくなるのかもしれない。(前回の本を書き終えた後も「オブジェクト指向」への興味がほとんどなくなった。)

今回も、前の本の時と同様にサポートページを作った(→サポートページへ)。
今のところ載せているのは目次やパターンの一覧ぐらいだが、誤記や誤植が見つかった場合にはサポートページの正誤表に記載する予定である(→正誤表へ)。今回の本では編集者さんと一緒に、土壇場まで図と文章を念入りにチェックしたので、正誤表が充実しないことを祈っている。

そもそもこの執筆日誌は自分自身の備忘録として書き始めた。本を書くときにはたくさんのことを考えるし、途中でいろいろ試行錯誤もするが、納本段階まで来てしまうと途中の苦労はすっかり忘れてしまうからである。情報発信媒体が紙からネットに移行しつつある状況の中で、紙上に「表の成果物」を作り、ネット上に「メイキングオブ」の楽屋ネタを載せるのも面白いだろうと思った。実際にやってみたら、頻繁に更新していたのは連載執筆時と書籍の脱稿間際ぐらいで、執筆が停滞するとブログの更新も止まってしまったが、なんとか曲がりなりにここまで続けることができた。



さて、出版まで無事にこぎ着けたので、この執筆日誌も今日でおしまいである。

このブログを定期的に読んでくださった奇特な方に感謝します。また、「はてなダイアリー」という良質なネット媒体を無償で提供してくださっている、はてなのスタッフに皆さんにも深く感謝します。どうもありがとうございました。

Amazon&はまぞうに掲載

気がついたらAmazonはまぞうに掲載されていた。

UMLモデリングレッスン

UMLモデリングレッスン

1月24日発売だって。ふーん、そうだったのか。
ここまで来てしまうと、他人事のことのように思えてちょっと不思議な気分になる。
とりあえず「はてな」の商品紹介ページの最初に載せておかないとね(笑)。
http://d.hatena.ne.jp/asin/4822283496

執筆のアメとムチ

今日は編集者さんから問い合わせがあり、図の間違いについていくつか確認された。年末にバッチリ校正したつもりだったが、まだ細かいミスがいくつか残っていたことになる。スケジュールはギリギリだが、見つかった問題点は明日すべて反映して、今月の中旬ぐらいには印刷した本ができあがるそうなので、本当にこれで終わりである。

昨年の正月は親戚の年始参りに行く車の中で最初の4つのパターンの構成を考えていたので、本格的な書籍化に取りかかってから1年をかけてしまったことになる。そもそもこのブログを書き始めたのは3年前である。ちょっと聞くと「3年の歳月をかけた会心作」みたいに思えるかもしれないが、実際は無為に時間を使って、ダラダラやっていただけの話である。

改めてこの3年半をふりかえると次のようになる。

  • 2004年夏頃:仮題「UMLモデリングレッスン」として、問題集形式のモデリング解説本の企画を持ち込み、出版社さんからOKが出る。
  • 2004年秋〜2005年1月まで:メモを数行書いたのみで実質進捗ゼロ。ブログの執筆日誌をコッソリ始めるが、こちらも何も進まず。
  • 2005年2月:日経ソフトウエアの真島編集長(当時)と飲む機会があり、書籍の執筆が進んでいないことを話したところ、まず連載から始めることで合意する。
  • 2005年3月:はてなダイアリーの連載日誌スタート。
  • 2005年5月〜2006年3月:日経ソフトウエアへの連載執筆。計10回無事終了し、書籍の骨子ができる。
  • 2006年4月〜2006年9月:再び進捗ゼロ。理由はやる気が出ないため(笑)。
  • 2006年10月:編集者さんに会い、スランプであることを伝える。年内に1つの章をかけなかったら書籍化は断念し、連載記事をITProで公開することで合意する。
  • 2006年11〜12月:はてなダイアリーの連載日誌再開。調子は上がらないものの、第2章を書き終えたため、ITProへの公開は中止し、書籍化を目指すことにする。この時点では2007年夏の脱稿を目指す。
  • 2007年1-4月:依然として調子は上がらないが、とりあえず3-6章のドラフト版を書く。
  • 2007年5〜6月:スランプのため事実上お休み。理由はやっぱりやる気の問題(笑)。2007年夏の脱稿はあきらめる。
  • 2007年7月:スランプから多少持ち直し、7&8章を書く。
  • 2007年8-11月:8月頃から急にエンジンが掛かり始め、1章、9-15章を書く。
  • 2007年12月:本文を入稿し、腕試し問題とコラムを書く。

てな感じである。3年半といっても、集中していたのは、日経ソフトウエアに連載を書いていた1年間と、調子の上がった昨年の8月以降の半年間なので、正味1年半かな。平日は会社で仕事をしているので、休日の半分を使ったとすると、正味で40日ぐらいかけたという計算になるのかもしれない。実際には、パソコンやネタ帳に向かっている時間以外も漠然と考えているから、単純に何時間かけたとは言えないけど。

執筆が進まない最大の理由は、自分自身のやる気の問題である。仕事をするためにはアメかムチ、あるいはその両方が必要だが、それが弱いとどうしてもサボってしまう。
まずアメが弱い。書籍の原稿料は、『ハリーポッター』や『女性の品格』みたいな大ベストセラーを例外にすれば、労働時間の割に合わない仕事である。収入面だけを考えると、執筆にかける時間を別のアルバイトでもした確実である。したがって執筆の最大のアメは「自分の本を書く」という名誉である。しかし自分の場合は、以前1冊だけ本を書いたことがあるので、このアメも前回に比べるとちと弱い。
ムチも弱い。出版社さんはビジネスで本を作っているが、自分の担当の編集者さんは執筆途中であまりプレッシャーをかけてこない。もっとも編集者さんも相手のキャラクタを見て「簡単に投げ出しそうな相手にはプレッシャーをかけない」ことにしているのかもしれないけど(笑)。執筆は個人作業なので、編集者さん以外にマネジメントをしてくれる人もいない。今回は自分で自分の仕事を管理するために、執筆済みのページ数や文字数をカウントして、折れ線グラフを作ってみたりしたが、スランプになれば当然そんなものは無視である。

ま、それでも原稿料が労力の割に合わなくても、自分との闘いであっても、この仕事は面白いし、書き終わったときの達成感は大きい。そうでもなきゃ、あれだけの種類の本が毎年書店に並ぶはずがない。

赤い本になるらしい

ahirasawa2008-01-04


年末に編集者さんから表紙のデザインの見本を送っていただいた。自分は色やデザインなど、芸術的センスには全く自信がないので、表紙やイラストなどは基本的に出版社さんにおまかせしている。表紙については、数年前に出た児玉さんの『UMLモデリングの本質』がレモンだったので、おおかたスイカかメロンの絵にでもなるのだろうと勝手に想像していた。ところが実際の表紙の見本は、トマトみたいな真っ赤なデザインだったのでちょっとビックリした。

しかも帯には“ベストセラー「オブジェクト指向でなぜつくるのか」の著者による〜”なんて書いてある。ベストセラーといえば、世間的には100万部ぐらい売れた本のことを指すと思うので、“下町の〜”とか“おらが村の〜”みたいな感じかな(笑)。もっとも表紙や帯は出版社さんが営業的な観点で決めるので、自分としてはその道のプロにまかせて、あまり口を挟まないようにしている。実際、著作権も出版社や制作会社に帰属するらしいし。

校正作業はほとんど終わったが、年末から年始にかけてちょっとした問題が発生した。今回の本は問題集形式のため、右側のページで問題を出して、めくった次の左ページから解説が始まる構成にしている。この構成にするために、解説のボリューム調整やコラムの挿入で苦労した。ところが最終段階の原稿を見たら、右側のページの問題の答えが、左側のページのコラムにバッチリ載ってしまっている箇所が2つ見つかった。これに関してはいかんともしがたい状況だったが、編集者さんと相談して、最終的にコラムのクラス図を変更して対応した。自分としては妥協しようと思ったが、編集者さんが細部までこだわってくださる方なので非常にありがたい。

そんなこんなで最後までドタバタしたが、年明け早々には印刷会社で本を刷り、下旬には書店に並ぶそうなので、いよいよ本当に終わりである。

年頭に当たって、次の本の執筆を今年の目標にしようかとも思ったが、まだ決心がついてない(笑)。しばらくは読書や運動でもやって、のんびりとプライベートを過ごしたいものである。

最後のゲラチェック

ahirasawa2007-12-22


金曜日に第4章以降の再校ゲラがまとめて届いた。何しろ最終原稿の締め切りが来週水曜日に迫り、早めにチェック済みの原稿を編集者さんに送る必要があるため、本日は1日がかりでゲラをチェックした。

いざ読み返してみたら、この期に及んで、接続詞の使い方や文章の言い回し、漢字とカナの使い分け、読点(テン)の使い方など、気になるところがたくさん見つかった。しかし、趣味で文章に手を入れる段階はとうの昔に終わっているので、致命的でない問題はこの際ぜんぶ無視である。

再校ぐらいの段階になると、重点的にレビューすべきは図である。特に今回の本はモデリングがテーマなので、クラス図やオブジェクト図が大量に出てくる。多過ぎて数える気にもならないが、たぶん200ぐらいあるんじゃないかと思う。文章なら多少の誤植があっても意味が通じればなんとかなるが、関連の多重度やクラス名を間違えてたりするとシャレにならない。ところが、図は編集段階で制作会社さんに作り直していただいているため、文章よりも誤植が混入するリスクが高い。今回も丁寧にチェックしたら、修正箇所を結構見つけてしまった。(とはいえ、ほとんどが自分のミスなんだけどね)。

大詰めに入ってもう1つ大変だったのは、副題対応である。本のタイトルは早い段階で予定通り『UMLモデリングレッスン』に落ち着いたが、副題はなかなか決まらなかった。最終的に「〜21の基本パターンでわかる要求モデルのつくり方〜」に決まったのは12月に入ってからのことである。

で、本文に「要求モデル」あるいは「要求モデリング」という言葉が一つも出てこないことが問題になった。この件について編集者さんと相談した結果、「はじめに」と第1章にいくらか手を加えて「要求モデリング」という表現を使うことになった。加えて、いろいろなところで多用していた「要件定義」も「要求定義」に変えることになったため、修正範囲が思ったよりも多くなってしまった。一応全部直したつもりだが、まだ修正漏れが残っているかもしれない。

前回の本の時も、タイトルが決まったのは大詰め段階だった。本の冒頭で、当初の仮タイトルの『オブジェクト指向をなぜ使うのか』を引用していたので、再校段階で文章を変えたことを思い出す。(ちなみに副題込みの当初案は『オブジェクト指向をなぜ使うのか〜知っておきたいJavaUMLデザインパターンの基礎知識』である)。こんな風に、本のタイトルがギリギリに決まるのは珍しくないみたいである。

とはいえ、再校のチェックもすべて終わったので、明日の朝一番に宅配便で編集者さんに原稿を送れば自分の仕事はおしまいである。急にやることがなくなったので、明日から手持ち無沙汰になる気もするけど(笑)、しばらくはノンビリ過ごすつもりである。ま、年末だし年賀状でも書こっかな。

めでたく脱稿

先週末の時点で残っていた原稿(コラム4本、あとがき、謝辞、関連書籍、著者紹介)は、締め切り効果の威力で、日曜の夜に無事ぜんぶ入稿できた。その後、編集者さんから著者紹介だけ加筆を依頼されたが、これも昨夜送った原稿でOKが出た。

著者紹介についてはちょっと悩んだ。もともと自分のことを語るのは苦手である。前回の本の時は“オブジェクト指向を追求する旅に出た”なんていうヘンテコな話でごまかしたが、また同じ手を使うわけにも行かない。生まれた年と現在の勤務先だけ書いて終わりにしようとしたが、編集者さんからもう少し書き足してくれと依頼されてハタと悩んだ。「xxの第一人者」とか「xxで活躍中」などと自画自賛するのは論外だし、卒業した学校とか、勤めた会社とか、やった仕事とか、今関心を持っていること、なんてことを書くのも気が進まない。そもそも人様に自慢するほどのキャリアでもないしね。

いろいろ考えたあげく、この「はてなダイアリー」のブログの紹介文を書くことにした。結果的に、ブログと書籍で相互リンクにできたのは良かったかな。

で、残りの作業はいよいよ再校ゲラのチェックだけである。今回は途中何度か挫折したので、一時は永遠に脱稿できないぐらいに思っていた。だから「これで終わり」といわれても、今ひとつ実感がわかないんだけどね。でも、ま、めでたいことである。

最初で最後の締め切り

ahirasawa2007-12-15


先週は編集者さんと打ち合わせをする機会があり、今後のスケジュールについて最終確認をしてきた。出版は1月下旬に決まったので、正月休みも考慮して逆算すると、年内に編集作業を完全に終わらせておく必要があるそうである。そのためにはこの週末までに残りの原稿を全部出して欲しいと言われてしまった。その時点でまだコラムが4本残っている上に、あとがき、謝辞、参考文献など細々(こまごま)した執筆作業が残っていた。この1年間ダラダラとやっていた執筆ペースから考えると、週末1回でコラム4本+αを書くなんて絶望的な状況である。いろいろ話し合った結果、最悪の場合には12月22日からの三連休で最後のコラムを仕上げて、著者チェックなしで入稿するスケジュールで合意してきた。

書籍の執筆はこれで2回目だが、前回の本の時もこんな感じだった。途中までは悠久の時が流れるような気分でノンビリ書いていたのに、いざ出版の予定が決まると急に期限を切られて大変なことになる。前回の本の時は第9章を書き終えた3月初め頃になって急に「2ヶ月後に出版したいので、残りの3つの章を急いで仕上げてくれ」と言われて大変な状況になった。その直後に父親が亡くなった時にはもう無理かとも思ったが、葬式の後は意外と時間を取れたので執筆が進んだことを思い出す。

さて、今書いている本の話に戻そう。先週の編集者さんとの打ち合わせ以降は、我ながら驚くようなペースでスイスイと執筆が進んでいる。何しろ、あとがきと謝辞は、編集者さんとの打ち合わせの後、帰りの電車の中で書き終えてしまった。参考文献とコラム1本も翌日の往復の通勤電車の中でアッサリ書けてしまった。今日は昼過ぎから再校のゲラを抱えて近所のドトールコーヒーショップに出かけたが、やはりアッサリとコラムを2本書けてしまった。なんと残りはコラム1本だけである。明日の日曜も多少時間が取れそうなので、ハッキリ言って楽勝である。いざとなるとこんなに簡単に書けるのに、いったい3年間もかけて何やってたんだろ。ま、考えてみれば日経ソフトウエアの連載期間を除いて、この3年間で初めての締め切りだ。やはり締め切りの威力は絶大である。

いよいよ、もうすぐ執筆作業から解放されるのかと思ったら実にすがすがしい気分になってきた。しかしその一方で、ちょっぴりだけ淋しい気持ちも沸いて来た。でも、もうこの誘惑には乗らないよ。だって、また本1冊のために3年も犠牲にするのはご免だからね(笑)。