天使が降りてこない時の奥の手

苦しんでいる連載第6回の原稿だが、残念ながら完成度80%で力尽きた。

結局昨晩は、天使は降りてこなかった。今日の昼あたりに少しだけ降りてきた気もしたが、夢中になって原稿を書く状態には至らなかったので、すぐに立ち去ってしまったのだろう。ときどきほんの2-3時間だが、神懸かり的に文章が進むときがある。そういう状態のときは、文章の中身以外の記憶がほとんどないので、集中できているのだと思う。天使が降りてくる、とはそんな状態を指す表現である。

実は、天使が降りてこないときの奥の手がある。それは次のような方法だ。

  • まずパソコンに向かって5分から10分程度修正や入力をする。
  • 次にそれをすぐにプリンタで印刷する。
  • そして、打ち出した紙を持って隣の部屋に行き、ボールペンで赤入れをする。
  • 赤入れが終わったら元の部屋に戻り、またパソコンに向かって修正する。

これをずーっと繰り返すやり方だ。

なぜこれがうまくいくのかよくわからない。しかし、いくつかポイントがあるように思う。まず同じ文章をパソコン画面と紙の両方で眺めることに効果があるように思える。紙と画面では印象が変わるので、脳が刺激を受けるのかも知れない。あるいは、紙に赤入れをするときは冷静だが、画面に向かうときは入力に夢中になるので、その切り替えがいいのかも知れない。隣の部屋に行くために立ち上がって歩く効果も無視できない気がする。以前読んだ野口悠紀雄先生の『「超」発想法』にも、”発想のためには、考え抜いた上で散歩することが有効である”という主旨のことが書いてあった記憶がある。

この方法の難点は大量に紙を消費することである。しょっちゅう部屋をウロウロするので、家族からも変な目で見られる。したがって、せっぱ詰まったときしか使わない。

オブジェクト指向でなぜつくるのか』の第5章「メモリの仕組みの理解はプログラマのたしなみ」を書いたときにも、この方法を使ったことを思い出す。自分でもよくわからないが、書くべきことがほぼ決まっていて、しかも自分の中で特別な発見がない場合には、こういう強引な方法を使わないと文章を書けないのかも知れない。

いずれにしても、幸か不幸か、とにかく80%まで仕上げることができた。来週末はプライベートな予定があるので、執筆時間はあまり取れないが、ここまで来ればなんとかなるだろう。ポイントは通勤電車で査読するモチベーションを維持できるかである。

しかし不思議なことに、こういうブログの文章を書くのはまったく苦にならない。これぐらいのペースで連載を書ければ左団扇(ひだりうちわ)なのだが、まったくもって世の中は思い通りにならないものである。