筆者か?私か?

文章を書いていると、自分独自の考えであることを強調したい場合がある。自分の経験や主張を述べる場合や、読者に対して“これはあくまでも私の意見であって、一般的な定説にはなってませんから気をつけてくださいね”と特に断りたいような場合だ。こういう時に「自分」のことをどう表現するか困ることがある。

多くの場合は「筆者」を使うようだ。しかし考えてみれば、「筆者」というのも妙である。だって自分のことなのに、あたかも第三者のように表現するわけだから。英語に翻訳したら三単現のsでもつけるのだろうか。

もう1つの表現方法として「私」がある。自分としてはこちらの方が好きだ。率直に自分のことを語っている感じがするし、自分の意見なんだからストレートに表現すればいいと思う。しかし「私」という表現は少し強すぎる感じがする。日本人は基本的スタイルとしてあまり自己主張をしないから、「自分」が強く出ると押しつけがましくなるし、ひどくなると鼻についてくる。

その他に「僕」「小生」なんていうのもある。「僕」は子供の頃に愛用していたが、いい年になってからはプライベートでも使わ(え)なくなった。「小生」は今となっては時代がかっている。仕事で「小役」という言葉を使う人が時々いるが、辞書で調べたら見つからなかった。

ちなみに以前翻訳した『リファクタリング』では「私」を使った。これはファウラー氏の文章が読者に語りかけるような柔らかいトーンだったので、そのニュアンスを伝えたいと思ったからだ。それに当時はファウラー氏というと『アナリシスパターン』の堅苦しいイメージも強かったので、取っつきやすくしたい意図もあった。

今回の本では今のところ「筆者」を使っている。自分としてはこの表現は今ひとつ好きではないが、一般的な表現なので右にならっている。あえて「私」と自己主張することも考えたんだけどね。やっぱり出しゃばるのは日本人の美徳に反するから(笑)。



PS
あとから読み直してみたら、上の文章では「自分」のことを“自分”と言ってることに気づきました。わはは。