なか見!検索

初校のチェックがすべて終わった。本来なら次の再校チェックで著者の作業はすべて終わりになるところだが、今回はまだ仕事が残っている。今書いている本は問題集スタイルなので奇数ページ、つまり見開きの右ページから必ず問題を始めなければならない制約がある。このため、前の問題の解説が右側のページで終わってしまうと、次をめくった左側の1ページが白ページになってしまう。この1ページを埋めるためには、解説のボリュームを調整するか、コラムを書くなどして対応する必要がある。初校の段階でこの白ページを確認したところ、あと4つ〜5つぐらいコラムを書く必要があることがわかった。来週末はいろいろ予定があって時間が取れないため、どうやら年末年始休みまで作業が残りそうな状況である。

先日は出版社さんからオンライン書籍閲覧サービスに関する許諾の依頼が来た。Amazonの「なか見!検索」やGoogle「ブック検索」などのサービスに、今書いている本を掲載する許諾をして欲しいという依頼である。なんでも、過去の実績を見ると、この手のサービスに掲載する方が書籍の売り上げが伸びているそうである。自分の場合は「なか見!検索」で気に入って、実際に本を注文した経験がないので、その話はあまり実感が沸かなかったが、時代の流れに逆らっても仕方ないので許諾することにした。著作権は著者に帰属するから、拒否権はあるんだけどね。

そもそも書籍の出版までのプロセスを考えてみると、相当な部分がコンピュータ化されている。原稿はコンピュータに打ち込んでいるし、出版社とのやりとりは電子メールだ。当然のことながら、出版社と制作会社や印刷会社のやりとりも電子媒体のはずである。試し刷りはあるにしても、途中過程のほとんどはコンピュータ処理で、紙媒体になるのは最後の最後である。もっとも書籍に限らず、新聞や雑誌も今はほとんどコンピュータ処理が中心なのだろう。だから、本格的なDTPソフトで執筆すれば、ネット上でダウンロード販売することも技術的には可能な状況である。ま、著作権の問題とか、書籍として印刷するための高性能なプリンタが家庭に普及する必要があったりするのかもしれないが、音楽コンテンツの状況を見れば時代の流れは明らかである。

それでも自分の書いた文章が活字になって、書籍として本屋さんに並ぶのは、書き手の立場からすると感慨無量な出来事なんだけどね。いったいこの先、世の中どうなっちゃうんだろ。

Peter Chen博士

原稿の方は第12章と第14章を入稿できたので、残りは第13章だけになった。この章のテーマはERモデリングで、ERモデルの表記法の歴史に関するちょっとしたコラムを書く都合上、ネットで関連情報を調べてみた。極東の国の狭い部屋にいるだけなのに、なんでもネットで調べることができてとっても便利である。

ネットをいろいろブラウズしていたら、ERモデルの元祖の表記法を考案したPeter Chen博士のホームページを見つけた。
Chen博士のホームページへ

以前からPeter Chen博士の名前は聞いていたが、どんな人なのか全く知らなかったので、自分の中ではニュートンパスカルソクラテスみたいな歴史上の人物のように思っていた。しかし実際に、ご本人の写真や経歴などを見ると、同時代を生きる生身の人間であることを実感できる。

海外の人に対してこういう感覚を覚えることはときどきある。以前、半分だけ外資の会社に勤めていたとき、David〜とか、Andrew〜などといった名前の人達が書いた文章を読む機会があった。英語の、しかも大量のドキュメントだったので読むのは大変で、内容もなかなか理解できなかった。このため、学者のような風貌の人が書いたのだろうと勝手に想像していたが、実際に本人達に会って見るとノリの軽い若者だったり、ひと癖ありそうなオジサンだったりしたので、ずいぶんギャップを感じたことを覚えている。

Chen博士の話に戻そう。氏のホームページからはいくつかの論文もダウンロードできるが、中でもERモデルを発表した1970年代以降の(氏の観点からの)歴史などを書いた"Entity-Relationship Modeling: Historical Events, Future Trends, and Lessons Learned"というペーパーが面白かった。ERモデル発表当時にCodd博士に痛烈に批判された話や、リレーショナルモデルとネットワークモデルの“宗教戦争”に巻き込まれた話などを読むと、この手の方法論をやっている人達は今も昔も変わらないことがわかる。また台湾出身のChen博士がERモデルを考案できた理由の1つとして、象形文字の漢字を使っていたことがある、なんていうこぼれ話も書いてあった。ERモデルも漢字もどちらも実世界の物事(エンティティ)を図式表現する点で類似性がある、なんて書いてあったけど、正直それはどうなんだろう。

面白かったのは、氏が論文の中で自分のことを"the author"と書いていたことである。"he"も使っていた。先日、「筆者か?私か?」というエントリを書いたが、英語でも自分のことをthe authorと呼ぶのはちょっと驚いた。恥ずかしながら、自分は洋書や英語の論文をほとんど読まないので、こういう場合の作法をよく知らない。もしかしたら氏が東洋人だからなのかな?

またChen博士のペーパーを読んで、IT業界で言いたことがあるなら、英語で勝負すべきことを実感した。ま、日本語で本を書くのに3年もかかっている自分には、どだい無理な話なんだけどね。

ようやく最終章

ブログの更新はご無沙汰してしまったが、原稿の方はそれなりに進んでいる。本日時点で第1章から第7章までの初校チェックがすんでいて、入稿も第11章まで終わっている。第12章から第14章までも本文は書き終えていて、編集者や査読者からの指摘事項に対応したら入稿する予定である。長い執筆生活だったが、いよいよ大詰めである。

今日はやっと最後の第15章を書き終えた。この章は4ページしかない「あとがき」みたいな位置づけの章だが、それでもやっぱり苦労した。前回の本のときもそうだったが、今回も最終章を書き始めたときには、途中の原稿を書いているときに思いついた文章や、ボツにした総まとめ的な文章など、材料がたくさんある状態だった。とはいえ、内容が重複していたり、主張がバラバラだったりするので、ひとつの流れに組み上げるのはそれなりに厄介である。

いろいろ考えたあげく、全体の総まとめ的な内容に加えて、構成上の理由から本文には書けない話を書くことにした。話の流れ上、マインドマップについてもサラッと触れてみた。本のメインテーマはUMLモデリングだが、これでERモデリングロジカルシンキングに加えて、マインドマップにも言及できたのでちょっとだけ満足である。

これで一応、本文は終わりだが、まだコラムが残っている。今回の本は問題集で、必ず奇数ページから問題を始めることにしているため、本のあちこちに白ページが出てしまっている。これを埋めるためのコラムを5本〜10本ぐらい書かなければならない。ま、ここまで来たのでなんとかなるでしょ。

本のタイトルも「UMLモデリングレッスン」に正式に決まり、出版予定も2008年の1月から2月ぐらいを目標にすることになった。結局なんだかんだで、前の本から4年後の出版である。4年おきの閏年となるとオリンピックだから、次回作はロンドンオリンピックの年かな。それも自信がないのでハレー彗星ぐらいを目標にしとこ (笑)。

集合論と2進数を中学で習わないなんて

原稿の執筆がほぼ終わってきたので、先週から見直しを始めている。この見直しが終わり次第、出版社に順次入稿し、編集者さんのコメントを反映したら次はゲラ作成である。ようやく大きな山を越えた感じだ。しかし編集者さんにとっては、これからが仕事である。(編集作業の流れは以前のエントリに書いた。あのときは雑誌だったが、書籍の場合も基本的には同じである。)

今回は執筆と並行して、何人かの方に査読をお願いしている。先日、その中のある人から「本文にある“中学校で習ったあの集合論の集合です”の意味がわからないです。自分は大学ではじめてベン図を見ました。」と指摘されてちょっと驚いた。

中学校で習った集合論は、鮮烈な印象として今でもよく覚えている。中学に入学して最初の授業が数学で、新卒の女の先生が教えてくれたのが集合論だった。それまでは数学といえば四則演算があるものとばかり思っていた。図形や確率でも計算式を使うのに、集合と要素、部分集合、和集合、積集合ぐらいしか出てこない集合論はなんとも不思議に思えた。もうひとつ不思議だったのが2進数である。計算自体はちっとも難しくないし、実生活で役に立つと思えないこの単元になんの意味があるのだろうと当時は思ったものである。

この話を会社の同僚にしてみたところ、ちっとも同意してもらえなかった。それどころか中学校では集合論も2進数も習ってないと言われた。ネットで調べてみたら、中学1年の1学期に集合論や2進数を教えるのは、昭和46年から54年までの9年間だけだったことがわかった。
→大日本図書さんのホームページへ

もちろん自分の場合、中学1年の10年後にコンピュータ業界に入ったおかげで、集合論と2進数は多いに役に立った。読み書きソロバンを別にすれば、学生時代の勉強でこれほど役に立った単元は他にないぐらいに思える。そういう意味で、昭和55年以降に中学校に入学したIT技術者は気の毒である。これだけコンピュータが普及しているんだから、数学だけは昭和54年の学習指導要領に戻すべきじゃないかと真剣に思う。

再び数へのこだわり

第14章のドラフト版を書いた。この章は連載最終回を元ネタにしていることもあって、比較的簡単に書き終えることができた。できれば気の利いた問題を1問ぐらい追加したいと思っていたが、ページ数の制約もあるのでこれ以上問題は増やさない方針である。これで、最終の第15章として3〜4ページの文章を書く予定は残っているが、執筆自体はほぼ終わった感がある。残作業は全体の見直しとコラムの執筆、章末の練習問題の作成、査読者からのコメントの反映だ。思えば長い執筆生活だったが、ようやく出口が見えてきた気がする。

今月に入ってから、内容がテンコ盛りだった第3章を見直して2つの章に分割し、旧第4章以降の番号を1つずらすことにした。この結果、全体の章構成は15章になり、パターンの数は21になった。問題は53問だが、冗長な問題をいくつか削って50問か51問にするつもりである。最後の1問は番外編なので51問でちょうどいいかな。17×3の微妙な感じもいいし。でも52の13×4もトランプみたいで悪くない。あっ、てことはジョーカーを加えると53か。出版社さんが販促用にUMLモデリングトランプを作ってくれるなら53もいいね(笑)。

筆者か?私か?

文章を書いていると、自分独自の考えであることを強調したい場合がある。自分の経験や主張を述べる場合や、読者に対して“これはあくまでも私の意見であって、一般的な定説にはなってませんから気をつけてくださいね”と特に断りたいような場合だ。こういう時に「自分」のことをどう表現するか困ることがある。

多くの場合は「筆者」を使うようだ。しかし考えてみれば、「筆者」というのも妙である。だって自分のことなのに、あたかも第三者のように表現するわけだから。英語に翻訳したら三単現のsでもつけるのだろうか。

もう1つの表現方法として「私」がある。自分としてはこちらの方が好きだ。率直に自分のことを語っている感じがするし、自分の意見なんだからストレートに表現すればいいと思う。しかし「私」という表現は少し強すぎる感じがする。日本人は基本的スタイルとしてあまり自己主張をしないから、「自分」が強く出ると押しつけがましくなるし、ひどくなると鼻についてくる。

その他に「僕」「小生」なんていうのもある。「僕」は子供の頃に愛用していたが、いい年になってからはプライベートでも使わ(え)なくなった。「小生」は今となっては時代がかっている。仕事で「小役」という言葉を使う人が時々いるが、辞書で調べたら見つからなかった。

ちなみに以前翻訳した『リファクタリング』では「私」を使った。これはファウラー氏の文章が読者に語りかけるような柔らかいトーンだったので、そのニュアンスを伝えたいと思ったからだ。それに当時はファウラー氏というと『アナリシスパターン』の堅苦しいイメージも強かったので、取っつきやすくしたい意図もあった。

今回の本では今のところ「筆者」を使っている。自分としてはこの表現は今ひとつ好きではないが、一般的な表現なので右にならっている。あえて「私」と自己主張することも考えたんだけどね。やっぱり出しゃばるのは日本人の美徳に反するから(笑)。



PS
あとから読み直してみたら、上の文章では「自分」のことを“自分”と言ってることに気づきました。わはは。

第1章のタイトルで思案中

第1章のドラフト版を書き終えた。さっきPCのディレクトリを調べたら、第1章に着手したのはなんと2004年の11月だった。かれこれ3年経ってやっとドラフト版を書けたのかと思うと我ながら情けない。しかもできあがってみればB5版で4ページぐらいの短い文章である。

ちなみに前回の本の時は最初に第1章を書いたものの、第2章から第7章のドラフトを書き終えた時点で全面的に書き直した。このため、第1章を書く過程でヒネり出した「用語の洪水」「比喩の乱用」「なんでもオブジェクト症候群」の3つの表現は、他の章の本文にほとんど出てこない。理由は、この3つを考えた時点で関連する章の本文ができあがってしまっていたからである。

今ちょっとだけ悩んでいるのは第1章のタイトルだ。現時点での候補は以下の2つである。

案1は、モデリングのノウハウを“すべて形にできるわけではないけど、形にできるものだってある”としている点で正直なメッセージである。それに対して案2は、モデリングのノウハウで“形にできないものはない”とも取れるので、ちょっとだけインチキ臭い。

自分はこれでも一応技術者のつもりだし、正直を信条に生きているので、嘘は嫌いである。その点からすると案1だ。しかしタイトルや見出しは羊頭狗肉ぐらいでちょうどいいし、語呂の良さでも案2の方がいい感じだ。どうしよっかな。